2021.03.03

飲食店向け

ハンバーガーと牛丼。主要ブランドの歴史から紐解く、ファストフード市場の未来

私たちにとって、最も馴染み深い飲食店と言っても過言ではないファストフードチェーン。その歴史はどのようにスタートし、今日の発展へと至ったのか。本稿では、外食産業の主要な一分野であるファストフードの歴史へと迫っていく。 後編となる今回は、日本マクドナルドをはじめとした国内チェーンの歴史を紐解く。コロナ禍でも健闘を見せるファストフード。その強さの秘訣は、いったいどのような点にあるのだろうか。

日本マクドナルド設立の裏にあるドラマ

マクドナルドは1971年、実業家・藤田田の手によって日本へと“輸入”された。今やファストフードの代名詞となった同チェーンの日本法人設立までにもいくつかのドラマがある。

当初、フランチャイズ化の交渉を進めていたのは、ダイエーグループの創業者・中内㓛だった。彼は何度か米・マクドナルド社の代表であるレイ・クロックと会ったが、設立する合弁会社への出資比率で折り合いがつかず、交渉が頓挫した。クロックの「50%:50%」の提案に対し、経営の主導権を握ることにこだわった中内が「51%:49%」を主張したためだ。そのようなとき、アメリカ側から日本法人設立を打診されたのが藤田だった。

当時、藤田商店という輸入商社を営んでいた彼は、英語が堪能だったことから、フランチャイズ化に興味のある日本の大手商社などを米・マクドナルド社に紹介する役割を担っていた。本来、フランチャイジーの候補ではなかった藤田に白羽の矢が立った理由は、同社が理想的と考える条件に合致したからだ。『日本の外食産業』(91年)に掲載されたインタビューで、彼はこう振り返っている。

私はとてもできない。だからやれる人間を紹介しているのではないか、と断ったら、われわれは決定権を持つ人間とさしで交渉したいんだ、と言ったね。そしてある程度金を持っていて、ある程度学歴があって、40歳前後で、自分の仕事を持っていて、遊んでいられて、英語が分かって、身体強壮である。そういう人間でなければ交渉相手にならない、と言うんだ。そして、お前は全ての条件を満たしているではないか、と言ったんだ。

米・マクドナルド社の打診に対し、藤田は5つの条件を提示したという。

①出資比率を「50%:50%」とする

②社長以下、全社員を日本人とする

③利益はすべて日本国内での再投資に充てる

④経営権・人事権は藤田に帰属する

⑤アメリカ側はあらゆる経営ノウハウを提供するが、経営には口を出さない

このように日本側にメリットの大きい条件を提示することで、提案が取り下げられると期待した藤田だったが、意外にもクロックはこれを受諾した。71年5月、日本マクドナルド株式会社(現・日本マクドナルドホールディングス株式会社)が設立され、同年7月20日に国内初のマクドナルドが東京・銀座三越の1階にオープンする。1号店の場所を巡っては、車での来店を想定した米・マクドナルド社が、交通量の多い郊外(神奈川県茅ヶ崎市が候補となっていた)への出店を主張したが、藤田がトレンドの発信地であった銀座にこだわり、自ら三越と交渉をまとめた背景がある。こうしたエピソードからは、米・マクドナルド社が“交通革命”をどのように捉えていたのかを窺い知れる。当時、日本のモータリゼーションはまだ過渡期であり、前年の70年には、銀座で日曜・祝日限定の歩行者天国が始まっていた。もし1号店が茅ヶ崎だったら。日本でのマクドナルドの発展はどうなっていただろうか。

その後、日本マクドナルドは75年に全店の年間売上高100億円、80年に同500億円を突破し、82年には売上高で国内の外食産業トップに躍り出た。店舗システムの面では、77年10月に日本で初めてドライブスルーを取り入れたほか、78年にはPOSシステムの導入も果たしている。同チェーンはバブル崩壊後のデフレ期を経て、さらに勢いを増し、ファストフード、ひいては外食産業を代表する一大ブランドとなっていった。2000年以降は、経営状況の悪化や、ともなう戦略の不振、BSE・異物混入問題などの影響から求心力を落としたが、ここ5年ほどは業績を回復させつつある。ファストフードの歴史は、同ブランドなしに語れない。

日本初のハンバーガーチェーンと、市場の発展に寄与した研究団体の存在

一方で、マクドナルド以外にも、多くのハンバーガーチェーンが日本のファストフード市場の勃興を牽引してきた。モスバーガーやロッテリアといったブランドの名は、同市場のキープレーヤーとして広く知られているはずだ。しかしながら、国内で最初のハンバーガーショップが、この3ブランド以外であることはあまり知られていない。マクドナルド銀座店の誕生から遡ること約1年半。ドムドムハンバーガーは1970年2月、東京・町田のダイエー・フードコート内に日本初のハンバーガーショップをオープンした。

同チェーンを展開したダイエーグループは、先述の中内㓛が創業した企業だ。あと一歩のところでマクドナルドのフランチャイズ権を藤田に奪われた彼は、自社の総力を結集してオリジナルブランドの開発を進め、純国産のチェーンを誕生させた。70年代後半には、アメリカで急成長を遂げていたウェンディーズを日本に誘致(2001年にゼンショーホールディングスへと売却)。全盛期には、全国に約400店舗を展開した。

中内は、経営コンサルタントの渥美俊一が62年に立ち上げたチェーンストア経営の研究団体・ペガサスクラブの会員だった。同団体は設立時から流通の本場であるアメリカへの視察ツアーをおこなっており、中内はこのツアーを通じて、アメリカにおけるハンバーガーチェーンの台頭を知った。同団体からマクドナルドのフランチャイズ化に名乗りを挙げたのは、実は彼だけではない。のちにファミリーレストラン・すかいらーくを展開する横川4兄弟もまた、マクドナルドの国内展開に興味を示していた。彼らが70年前後にいち早く外食産業に着目できたのは、アメリカでの動向をつぶさに知っていたからだ。ペガサスクラブにはほかにも、のちにデニーズを日本へと誘致するイトーヨーカ堂の創業者・伊藤雅俊などが所属していた。同団体が日本のファストフード・ファミリーレストラン市場の発展に与えた影響はあまりにも大きい

外食産業勃興の夜明け前。吉野家が先導したチェーン展開の歴史

Beef bowl is a very popular Japanese-style bowl, boiled beef sweetly and stuck with rice.

ファストフードの歴史を語るならば、ハンバーガー以外の商品を扱うチェーンにも触れておかなければならない。1958年、松田瑞穂によって創業された株式会社吉野家(以下、吉野家)は、明治時代、東京・日本橋で生まれた同名の牛めし店をルーツとするチェーンストア企業だ。多くのファストフードが70年以降に誕生するなか、同社は68年に、築地店に次ぐ2号店を新橋に出店し、多店舗化へと踏み出した。吉野家がチェーン展開に向かうきっかけもまた、ペガサスクラブだった。

中吊り広告で同団体の存在を知った松田は、セミナーに参加するまで、築地店のみの売上で吉野家の経営を考えていた。しかし、渥美俊一の「1億円売れる店を三つ作りなさい」という言葉に触れ、彼の説くチェーンストア理論へと傾倒していく。松田はセミナーを積極的に受講し、その経営哲学を全力で学んだ。アメリカの視察ツアーにも参加。流通の本場で起こる外食産業のチェーン化を目の当たりにし、2号店の出店に踏み切った経緯がある。

このように多店舗化への道を歩みだした吉野家は、77年に100店舗、78年に200店舗の展開を達成し、順調に規模を拡大していった。しかし直後の80年には、外食産業の発展にともなう輸入牛肉の需要過多を遠因に倒産。会社更生手続きを申請し、83年よりセゾングループ傘下として再スタートを切った。87年には、当初の計画より早く100億円の負債を完済。その後の発展は誰もが知るところである。2000年代には、BSE問題が同チェーンのビジネスを直撃し、看板メニューである牛丼の販売中止を余儀なくされたが、豚丼などへの転換が功を奏し、危機を乗り切っている。ハンバーガーとは別の流れをくむファストフードチェーン・吉野家は、こうして現在に歴史をつないでいる。

ファストフード市場は、変化と再構築の時代にどこへ向かうのか

2020年、外食産業を襲ったコロナショックは、ファストフードの分野にも影響を及ぼした。1度目の緊急事態宣言下だった同年4月、マクドナルドの客数はマイナス18.9%まで落ち込んでいる。その一方で、巣ごもり需要に起因する家族利用が増え、客単価はプラス31.4%を記録。売上高は6.7%のプラスとなった。コロナの影響が大きかった同時期において、売上が伸びた外食企業の存在は珍しい。

ハンバーガー市場で第2位のシェアを占めるモスバーガーもまた、コロナ禍で売上を伸ばしたブランドだ。20年4月の客数はマイナス18.3%と大きく減少したが、客単価がプラス27.0%を記録し、売上高は3.7%のプラスとなった。対して、別のファストフード分野である牛丼チェーンでは、すき家が88.1%、吉野家が97.0%の売上高となっている。ともに前年割れであるものの、60.4%となった外食産業全体からすれば、十分に健闘したと言える数字だ。

※数字はすべて前年比・既存店のもの。

このことから、ファストフードはコロナに強い外食産業であると言える。その背景にあるのは、持ち帰り文化の浸透と、店舗デジタル化に対する率先的な取り組みだ。代表的なチェーンとしてこの項で挙げた4ブランドは、成長してきた過程で、テイクアウトやドライブスルーの販路を開拓していたのはもちろん、早くからモバイルオーダーを活用し、非接触による事前注文・事前決済の仕組みを取り入れていた。安心・安全が重視される時代のCXに寄り添う、これらの取り組みによって、4ブランドはコロナの影響を最小限にとどめたのだ。

今後の外食産業ではCXのほか、CSRやサステイナビリティといったキーワードも重要視されていくと見られている。これまでの歴史と同様に、ファストフードはマーケットの未来を先どっていけるのか。変化と再構築が叫ばれる時代、同分野にはさらなる注目が集まっていくに違いない。

ファストフード史 前編はこちら

米国での誕生と発展。外食産業の夜明けとともに進み始めた、国内ファストフードの歴史

外食歴史記事一覧はこちら

文=結木千尋
編集=Showcase Gig

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