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日本独自の文化として戦後から拡大し、外食市場にその地位を確立してきた居酒屋産業。今やその市場規模は1.6兆円と言われるが、果たしてどのような歴史を歩み、現在へと至ったのだろうか。前編となる今回は、居酒屋チェーンの発祥から旧御三家の登場、その沿革へと迫り、居酒屋史を紐解いていく。
1.6兆円もの市場規模を持つ居酒屋産業は、日本独自の文化として戦後から拡大し、外食市場にその地位を確立してきた。80年代には居酒屋ブームが社会を席巻。「イッキ!イッキ!」が流行語となるなど隆盛を極めた。その後は、経済の低迷や人々のライフスタイルの変化に左右されながらも、その時代ごとに野心あふれる創業者たちが新たな旋風を起こしてきた業界である。
居酒屋産業はどのような歴史を歩み、現在へと至ったのか。本稿では、日本の居酒屋チェーン史から、そのあらましを振り返る。
前編となる今回は、居酒屋チェーンの発祥から旧御三家の登場、その沿革へと迫っていく。
(出典:iStock)
日本の居酒屋文化は、酒屋の店頭で升酒を飲ませる「角打ち」が起源だと言われている。「酒屋に居続けながら飲む」ことから「居酒」の呼び名が一般化し、日本の居酒屋文化の基礎ができあがった。東京都千代田区にいまも店舗を構える豊島屋本店は、草創期を知る数少ない酒販店だ。
しかしながら、当時の居酒屋は大部分が個人経営であり、現在の市場に見られるような全国展開の店舗は存在しなかった。居酒屋チェーンの始祖と言われる「鮒忠(ふなちゅう)」が東京・浅草に川魚屋をオープンしたのは、豊島屋本店の創業から約350年後の1946年のことである。
創業者の根本忠雄は当初、川魚の露天商・行商で生計を立てていたが、冬場にドジョウやウナギが採れなくなることから、季節に左右されない食材として鶏肉に目をつけた。当時高級食材だった鶏肉を串に刺し、焼き鳥にして販売したところ、大ヒット。焼き鳥は、ウナギに代わる鮒忠の看板商品となった。50年には、元の店舗があった敷地に2階建ての建物を新築。2階を居酒屋専業の「焼き鳥屋 鮒忠」とした。
根本はアメリカのフランチャイズ(以下、FC)方式をいち早く導入し、78年に100店舗展開に成功している。鮒忠が居酒屋チェーンの始祖とされるのは、こうした理由からである。
50年代以降には、その後の居酒屋史を語る上で外せない3つのチェーンが誕生した。「養老乃瀧」「つぼ八」「村さ来」だ。これらは居酒屋の旧御三家として同産業の発展期を牽引し、後続のチェーンに影響をもたらした。この項では、3チェーンの沿革を見ていこう。
(出典:養老乃瀧公式HP)
56年、横浜・曙町に1号店がオープンした「大衆酒蔵 養老乃瀧(以下、養老乃瀧)」は、実業家・矢満田富勝によって創業された居酒屋チェーンだ。同氏は38年に「富士食堂」を、51年に「養老の滝」(「養老乃瀧」の前身となる居酒屋)を地元・松本市で開業し、双方で成功を収めた。特に「養老の滝」の経営においては、日本に昔からある「のれん分け」を拡張した「のれん貸し」方式を独自のFCシステムとして生み出し、同店を県下130店舗の居酒屋チェーンへと成長させている。その後「養老の滝」は、経営不振や脱税容疑の強制捜査を経て全店を閉めることになるが、両店で得たノウハウは「養老乃瀧」の経営へと生かされていった。
矢満田は当初「養老乃瀧」を、ご飯ものなども扱う大衆食堂のように営業したが、繁盛によって多忙を極めると、料理人の技術を必要とする食事メニューを諦め、比較的手軽な居酒屋メニューへと特化した。もともと曙町店は酒類による売上の割合が高かったため、この方針転換が功を奏し、経営の効率化、客単価の向上につながったという。
1号店の成功を皮切りに「養老乃瀧」は出店攻勢を強め、65年には直営100店舗に到達。曙町店の出店当時に矢満田が掲げていた「10年で直営100店舗」の目標を、1年前倒しで達成した。その後は「のれん貸し」の経験とアメリカのFC方式に倣った「養老乃瀧ファミリーチェーン」制度を導入し、73年には1,000店舗展開という数字を打ち立てる。「養老乃瀧」の成功は、居酒屋チェーンにおける最初のモデルケースとなった。
(出典:つぼ八公式HP)
1号店がたった8坪の広さだったことを名前の由来とする「つぼ八」は、73年、北海道・札幌の地で誕生した。創業者の石井誠二は、行商やバーテンダー、養鶏場勤務などの経験から居酒屋経営を思い立ち、すべてのメニューを150円で提供する小さな炉端焼き店を雑居ビルの2階に開業する。73年はオイルショックで物価が暴騰した年であり、54年から続く高度経済成長が終わった年でもあった。そのような背景から低価格路線の「つぼ八」は人気の居酒屋となっていった。
翌年に2店舗目、さらに翌年に3店舗目をオープンすると、76年にはさらなる事業展開を見据え、株式会社つぼ八が設立された。翌77年には、前年にオープンした「養老乃瀧」北海道1号店の斜向いに「つぼ八 札幌南二条店」を出店。地元の居酒屋として「養老乃瀧」の挑戦を真正面から受けて立った。札幌南二条店の売上は、オープンから3か月後に「養老乃瀧」の数字を上回ったという。「つぼ八」はその勢いに乗じてFC展開へと注力し、開業から15年ほどで全国に約450店舗の一大居酒屋チェーンに成長した。
石井は87年、大手商社との業務提携に関連する騒動から同チェーンの経営を離れるが、89年に居酒屋「八百八町」の創業者としてカムバックを果たしている。
「つぼ八」のフランチャイジーからは、その後の居酒屋産業を牽引することになる新御三家の2つも生まれている。「つぼ八」と石井が居酒屋史に残した功績はあまりにも大きい。
(出典:iStock)
旧御三家、最後のひとつは、73年開業の居酒屋チェーン「村さ来」だ。トリスバーのアルバイトから経営者へと転身した清宮勝一によって、東京・世田谷で創業された同チェーンは、画期的な経営システムの導入と新しい商品の開発で、居酒屋史に一時代を築いた。
清宮はスタンドバーのブームに翳りが見え始めた65年ごろ、経営していたトリスバー店舗を整理し、全国展開を目指す飲食店ビジネスの情報収集をスタート。やがて、「低価格」「若者向け」の2軸をコンセプトにした居酒屋経営を思いつき、郷土を思わせる店舗デザインが特徴の「村さ来」1号店をオープンする。
同チェーンは低価格と豊富なメニューを両立するべく、「マージンミックス」を店舗経営に取り入れた。マージンミックスとは、個々の商品に均等に粗利益率を設定するのではなく、全商品のトータルで望んだ粗利益率を目指す手法だ。清宮は同手法の活用に適したフードメニューとして、食材のバリエーションに富む串焼きに目をつけ、「村さ来」の看板商品とした。一方で、原価率の低い商品を生み出しづらいアルコールドリンクの開発には苦労したが、このことが居酒屋文化を代表するドリンクメニューの誕生へとつながっていく。原価の安い酒類である焼酎を、シロップと炭酸で飲みやすく仕上げた「酎ハイ」である。
こうした取り組みが奏功し、「村さ来」は着実に店舗数を増やしていった。ピークの80年代後半には、FCで1,000店舗近くを展開。当初の目的どおり、全国を股にかける一大居酒屋ビジネスを清宮は築き上げた。80年代居酒屋ブームは間違いなく、「村さ来」によって牽引された。
続く後編では、バブル崩壊を契機に潮目が変わった居酒屋産業に着目。新御三家の発展と停滞から、その後の変化の時代へと迫っていく。
文=結木千尋
編集=Showcase Gig
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